子どもと母親に寄り添う人との対談・インタビュー

どんな地域の、どんな親のもとに産まれた、どんな子どもも、安心安全で生き生きと輝ける社会になって欲しい

小川 純恵 さん

理学療法士、子育てお悩み持ち寄り処「メリーのいえ」代表
高校1年生と3年生の姉妹の母。小児分野の理学療法士。理学療法士として肢体不自由児施設に10年間勤務、その後フリーとなる。現在は、子育て支援団体などで、発達講座や発達相談を行う。自らも発達障害の娘を育て、学校以外の学び場を模索した経験から「子育てお悩み持ち寄り処 メリーのいえ」を立ち上げる。6年間もの間にのべ600名を超える家族と交流を深める。子育てに悩む家族同士がゆるやかに繋がり自分たちらしい生活を送れるよう、交流会を始め、講演会やワークショップを開催する。趣味はお花とアロマと、カフェでのんびり過ごすこと。

理学療法士の小川さんが理学療法士を目指すきっかけは?とくに障害のある子どもに寄り添った支援を中心に行われてきた、そんないきさつは?

子どもの頃は小学校の先生になりたかったという小川さん。ドゥシェンヌ型の筋ジストロフィー症を患った方の闘病記を読んで、寝たきりの方が自分らしく生きていく様子に感銘を受け関心をもつようになった。高校1年生の時、たまたま目にしたし小さな新聞記事で、障害者とキャンプに行くためのボランティアを募集していた。今まで本で読んだし、関心も他の子に比べて高かったので役に立てると申し込んだが、実際車いすに乗った子どもたちを目の前にすると何もできなかった。どう話しかけていいかもわからずオドオドするばかりであったが、子どもたちの方が優しくて話しかけてもらった。自分は、なんでも知っているし、差別や偏見もないと思っていたが、そのキャンプでのボランティア経験は知らない世界を見たそんな経験となった。そこで私は障害のある人と、健常な人をつなげられるような仕事に就きたいと思ったのが、理学療法士を目指すきっかけだった。

障害のある子どもに寄り添った支援を中心に行われている小川さんが支援で心がけていることなど?

その子らしく生きることがゴールだと思うので、障害を持つ子供だけ見ないようにしていて、どんな家庭で、どんな地域でどんな文化の中で生活してきたのか、生活していくのか周りの環境も見ることが大事。障害の重さ=親の負担ではないと思う。たとえ歩けなくても明るいお母さんもいる。逆にいろんなこと沢山出来るのにいつも暗い絶望の中にいるお母さんもいる。狭い視野ではなく広い視野で関わるよう心掛けている。

小川さんは2人の女の子の母でもありますが、子どもが小さい時期を振り返って何か思うことはありますか?その時の自分に声をかけるなら?など

「いいお母さんになろう」という意識が強かった。仕事は目に見える成果があり、やりがいも感じやすいけど、子育ては仕事と違って成果も見えにくい。「ちゃんとしてないとダメ」という意識が強かった。
こどもは人見知りや場所見知りが強く、外出先でも旅行先でも号泣だった。白い目で見られたり、何とかなりませんか?と声をかけられることもあった。そんなことが続くと怖くて外に出られなくなった。でもある時、地元の幼稚園の先生が「よく見ていますね」「よく頑張りましたね」と子どもだけじゃなく、私にもそう声をかけてくれて認めてもらった気がして本当にうれしかったことを今でも忘れられないですね。

小川さんは高校2年、中学3年の女の子の母として思うこと

小さいころから育児で悩んだ経験から、現在に至っても、なかなか学校になじめなかったりする中で、家でもなく学校でもなく、上でも横でもなく、「斜めの関係」っとっても大事だと感じた。色んな生き方であったり、色んな考え方であったり、いわゆる異文化異業種の交流って大事だと思った。親には言いにくいことは信頼できる大人に相談できる場所が今は必要だと思う。

子育てお悩み持ち処「メリーのいえ」代表でもある小川さんですが、その活動のきっかけなど教えてください

発達相談やアレルギーやアトピーの問題など、育児にかかわる悩みは多岐にわたり幅広い。病院に行くほどでもないし、人に言うほどでもないし、といった困りごとをまずは聞きたい。今は1人での活動には限界を感じ、「子育てメンター」といって育成して多くの人を支えられるようにしている。

エピローグ

ネグレクトや虐待など胸が痛いニュースが多い。メリーのいえに相談に来るお母さんも「メリーのいえがなかったら、メリーのいえを知らなかったら子供に手をかけていたかもしれない」といお母さんもいた。話を聞いて、向き合って、一人じゃない、孤独じゃないよって伝えたい。