子どもと母親に寄り添う人との対談・インタビュー

20歳で妊娠出産☆育児は育自☆

~ともに成長する子育てのヒント~

野村 ユミ子 さん

福岡県出身
一般社団法人愛夢 代表
就労継続支援B型、計画相談支援事業、訪問看護事業
訪問看護ステーション愛夢HOPE

今回のむすぶトークは、遠く福岡県の野村さんと“むすんで”いきたいと思います。

団体の名称は私の故郷福岡県の方言で“むすぶ”“ゆわう”を意味しているので、とてもうれしいです。よろしくお願い致します。

野村さんは妊娠や出産、育児を振り返って、その当時の思いや不安などについて教えてください。

私は20歳で妊娠・出産を経験しました。長男は夜泣きがひどくて睡眠不足が続きました。
半年で体重が21㎏も減少した位きつくて、不安ばかりでした・・・

体重減少からいって、大変な育児期だったことが想像がつきます。

2人とも母乳で育てましたが、3歳くらいまで母乳は離れなかったです。
それでよいのか、と、悩みながら時が過ぎた感じです。

卒乳の時期は、色々な情報が耳に入りますし、
それぞれの価値観から良かれと思ってアドバイスされますので、
悩まれる方は多いですね。

正しい子育てをしようとしてしまっていたが故に子育てに迷宮入りしてしまいました。
相談しても、該当する答えは見つからず何が良くて何がいけないのかすら、わからない状態でした。

子育てって正解がありそうでないものが多いですし、個別性の高いもので一つとして同じものはないので、答えが出ないものに悩まれている方が多いなって思います。
振り返ってみて今だから思いますが、その当時はわたしもよく悩んだりクヨクヨしていました。
そうした不安や悩みをどのように乗り越え、誰に相談しましたか?

情報弱者でもあり友人も少なく心から話せるママ友はいませんでした。
また、何かの活動に参加することはありませんでした。

今思えば、社会から孤立していたように思います。

ママ友に相談しても、ママ友たちの子育てが羨ましく思えたり、ママ友たちの子育てが正解でわたしの子育て失敗、と、いうようにわたしの子供を見ずに『人の子供、人の子育て』ばかりみてました。

他人が羨ましく思えるってすごく分かります。
成長が楽しみなはずなのにそんな余裕すらないって表現するお母さんって意外と多いです。

長女は、幼少期に事故で大火傷を負い、一命はとりとめたものの、傷跡が今でも残っています。「火傷は親のせいだ!」「一生、償って生きなさい!」と、よく周囲から言われました。色々なことが重なり、子育てが笑えなくなり。暗い顔になってました。

大切な子供の言動を見逃すくらい悩んでました。

成長が楽しみなはずなのにそんな余裕すらないって表現するお母さんって意外と多いです。

はい、そんな経験も、子どもの成長と共に子どもに助けられるようになりました。
当時、私には資格も地位も名誉も何もなく、若年出産で経済的余裕もなく働きたくても、子供が小さい、という理由でパート面接に”15社”ほど落ちました。
社会から疎外された感じと落ち込んでいた時、子ども達が寄り添ってくれて無邪気に笑う姿に、どんなに救われたことか・・。
また、両親、家族や兄妹、親友が唯一の理解者で、助けられました。

お子さまに助けられたのですね。
家族やパートナー、周りの人たちからのサポートはどのように感じましたか?

何が助けられたというより、話を聞いてもらうだけ、そばにいてくれるだけで助けられ、心救われました。

そうですよね。
具体的にこれってものでなくて、そばにいる、話をきくだけでも心強いものですね。

これから同じ状況を迎える方々に向けて、一番伝えたいことは何ですか?

子育ては、千差万別です。
育自(育児)🟰自分を育てる
と思っています。
どんな環境でも、どんな状況でも、子供を信じてあげることが一番だと、思っています。
自分自身も共に成長する、という思いで育児に向き合うと見方が変わると思います。

子育ては、自分育て(親育て)って聞いたことがあります。
子とともに親も育つのですね。
大切なお話をありがとうございました。
沢山のヒントやココロが軽くなうような話がちりばめられていたように思います。